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本の要約、メモ、書評など。

【要約・読書メモ】マックス・ヴェーバー『宗教社会学論選』

マックス・ヴェーバー『宗教社会学論選』(翻訳)大塚久雄・生松敬三(1972年、みすず書房

 

ウェーバーの代表的論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が収録されている大著『宗教社会学論集』(全3巻)からのプロ倫を除いた抜粋論文集。

 

「宗教社会学論集 序言」

 「宗教社会学論集 序言」では、以下の問いが最大の問題として提起される。すなわち、「いったい、どのような諸事情の連鎖が存在したために、他ならぬ西洋という地盤において、またそこにおいてのみ、普遍的な意義と妥当性をもつような発展傾向をとる文化的諸現象が姿をあらわすことになったのか」という問題である。この西洋の「普遍妥当性」は、科学、芸術、建築、そして経済など、至る所で見られるという。
 特に経済——西洋の資本主義——の普遍妥当性を取り上げるウェーバーは、資本主義を無制限の営利欲や掠奪的経営と区別し、その特性が合理的で平和な営利の可能性にあると主張する。具体的に、資本計算・合理的な簿記に基づく経営、自由な労働の合理的・資本主義的な組織、家政と経営の分離などを取り上げ、これらが西洋の資本主義を近代独特の型に仕立て上げたと論ずる。
 ウェーバーは、ここから論を進め、問題となっているのは「西洋に独特な合理主義の発生」であると看破する。すなわち、上のような特性は、どれも西洋の市民の合理的な心性——特定の実践的・合理的な生活態度をとりうるような人間の能力や素質——に(も)依存しているというのである。
 こうした内面的心性形成の最も重要な要因は、過去においては、宗教的、信仰に基づく倫理的義務の観念に由来していた。こうした論理展開を経て、ウェーバーは経済における心的態度、つまり「ある経済形態を支えるエートスの生誕も特定の宗教的信仰の内容によって条件づけられつつおこなわれた」ということを序言以降かの有名なプロ倫論文で解き明かしていくのである。

 

<読書メモ>

・いったいどのような事情でほかならぬ西洋においてのみ、普遍的な意義と妥当性を持つ発展傾向をとる文化的傾向が姿を現したのか

・普遍的な意義を持つ資本主義は西洋のみで生まれた

 ⇔西洋以外の地域でみられた無制限の営利欲や非合理的衝動、掠奪的工場経営は「資本主義の精神」とは相容れない

・西洋「資本主義」=交換の可能性によって利潤を獲得、平和な営利の可能性の受けに成り立つような経済行為

 =資本計算が綿密に行われ、自由な労働の合理的・資本主義的組織が存在し、商品市場による利潤獲得を目指す合理的経営組織が存在することが、「西洋資本主義(本論における資本主義一般)」とそうでないものを分ける点→非合理的・投機的性格、暴力行為による営利獲得とは異なる

・自由な労働の合理的・資本主義的組織の存在=市民的な経営資本主義の成立に大きく寄与

・以上見てきたように、重要なのは西洋文化独特の「合理性」

 ―この「合理性」は様々な解釈が可能だが、西洋独特の合理化の特性の認識を分析

 ―一方でこの合理化は、特定の実践的・合理的な生活態度をとりうるような人間の能力や素質にも依存

  →こうした能力・素質を形成する一番の要因は宗教的な諸力とそれへの信仰に基づく倫理的義務の観念

  →ある経済形態をささえる「エートス」の生誕も特定の宗教的信仰の内容によって条件づけられつつ行われた

  (特に近代の経済的エートスと禁欲的プロテスタンティズムの合理的倫理の関係)

 

世界宗教の経済倫理 序論」

 「世界宗教の経済倫理 序論」では、「宗教の心理的事実的諸関連のうちに根底をもつ行為への実践的起動力」が問題に挙げられる。この関連は、生活様式や社会層との相互作用によって様々に規定される(被抑圧者による救世主信仰、市民層によるキリスト教信仰など)という。
 続いて、様々な宗教倫理を類型化しようとするウェーバーは、第一に神義論の問題を取り上げ、「幸福の神義論」「苦難の神義論」を論じる。こうした神義論は、世界観における合理性の増大に伴い、問題が生じるようになったが(信仰してても救われない、不信仰者が成功しているetc)、これに合理的な答えを与えた宗教体系が三つほどあったと論じる。
 世界観の合理化に伴い、現世的な救いの教説が問題となる。すなわち、彼岸や来世における救いではなく、此岸、現世における救いを求めるようになる(=教いの理念の合理化)のである。こうした思想は、特に生活における実践的合理主義への傾向を有する市民層と親和性を持ち、「使命予言」的な宗教——現世での行動をかきたてるような行動的禁欲へと彼らを駆り立てるのである。
 さて、こうした合理的宗教は、救済財を現世のものに(現世を呪術から解放)、この獲得手段を現世的なものにする(現世逃避から行動禁欲的現世改造へ)ことで、「大衆的宗教意識」を有するようになる。これを成し遂げたのは、他でもなくプロテスタントであった。現世の行為の優れていることが救済につながり、使命としての世俗的職業に打ち込むことが救済につながる、そんなプロテスタントの思想は、現世内的禁欲主義——現世を倫理的に合理化し、合理化された日常の中での救いを追求する倫理体系として、資本主義のエートスの発展を支えていくのである。

 

<読書メモ>

・経済倫理…「宗教の心理的なまた事実的な諸関係の内に根底をもつ行為への実践的機動力」こそが問題にされる

・あくまでも宗教が経済倫理の決定要因の「あくまでもひとつ、ただ一つにしか過ぎない」ということに注意

・宗教倫理…まずもって宗教という源泉から刻印を受けるが、一方でひとたび刻印を受けある宗教の型が、非常に異質的な社会層の生活に対してもかなり広範な影響を及ぼすのが通例だった

・宗教倫理と利害状況の関係

 =幸福の神義論…自分はその時々の幸福に値する人間であるという確信を得るために宗教が果たすその正当化

  苦難の神義論…不信仰が不幸の根拠を成すと考えられるようになったこと

         →不正を罰し正しいものに報いる倫理的な神性の出現

・こうした合理的宗教倫理の展開は、社会的に蔑視された層で根を下ろすように

 =社会的に資質があるとされる層は、自らの「存在」を自尊心の根拠に

 ⇔社会的に蔑視されている層は、神から自らに課させられた「使命」を自尊心の根拠に

・救いを求めるものは、一義的に此岸の状況を気にした

 =救済財は信者にとって何よりもまず心理的に「現在的」な性格を帯びていた

・各層によって宗教において最高善として追及される至福は異なる

 知識人…宗教的な救済の獲得を「救い」の信仰にまで昇華させる

     =何から何へ救われることを欲し、救われることができるのかの基準となる

「世界像」の組み立てに寄与

     →現世の組み立てが全体としては何らかの意味ある秩序界であり、というかあらねばならないという要求が秘められていた

      =世界像や生活様式の理論的・実践的、知的・事実的全面合理化の結果、宗教はますます非合理なものの中に押し込まれていった

       ―合理化が進む一方で、現世の背面に存在するような捉えがたい神秘的な体験への要求は残り、個々人は自らの救済を個人としてのみ求めるように=この傾向が一番出たのが現世とその意味を「ひたすら思索で捉えようとする知識人層」であった

 教権者層…宗教財を個々人によっては到達できず、教権者による儀礼を通じてのみ授与されるような「聖礼典的恩恵」「公制度的恩恵」という形に

      ⇔個々人によって瞑想やオルギア的禁欲手段によって個別的救済を試みることは信用できない→彼らには儀礼的統制を加える必要

 市民層…個別的な救済の追求が特に強く根を下ろした

     生活における実践的合理主義への傾向

     →倫理的合理的な生活規則を呼び覚ます可能性が常に存在し続けた

・預言の二つの基本類型

 模範預言…瞑想的でエクスタシス的な生活の模範を身をもって示すような預言

 使命預言…倫理的な、そしてしばしば行動的禁欲的な性格の要求を現世に突きつけるような預言=現世の内部で積極的な行動へと駆り立てるような預言

 →使命預言を市民層は基盤に

  =「神の所有」とか「神と共にある瞑想的帰依」ではなくて、「神の道具」であること感じて神の意志に適う「行動をする」ことが優越的に

(=すなわち瞑想的神秘<行動的禁欲)

・自己を「神の道具」と感じること=現世を超越する人格的な、怒り、赦し、愛し、罰するような創造主という神観念と親和的⇔非人格的な最高の存在(模範預言に多い)

・宗教の約束する最高の救済財=誰でも獲得可能というわけではない

 =人間の宗教的資質の不平等性

  ―カルヴァンの予定説における「特殊恩恵説」に顕著

   …最高の救済財はカリスマのみが手にできる

   →身分的な分化を生むように

    ―達人的宗教意識⇔教会は救済財は誰にでも到達可能だとして彼らに反発

    ―大衆的宗教意識=宗教的音痴

    →達人的宗教意識は妥協的に、日常生活への宗教の影響の仕方いかんに影響を与えるように

・経済の営みが行われる日常生活と達人的宗教意識の関係

 ―達人的宗教意識に到達するための手段が瞑想的オルギア的である場合…宗教意識と日常生活は交差することはない=瞑想やオルギア手段は経済に敵対的

 ―達人たちが結集して現世における生活を神の意志に従って形成しようとする、そうした禁欲的なゼクテを作り上げるにいたった場合(=現世を呪術から解放し、救済への道を瞑想的現世逃避から行動的禁欲的現世改造へと切り替えること)…日常生活に影響

・この後者=西洋の禁欲的プロテスタントにおける教会の形成で実現

 ―現世の秩序の内部における自己の行為が倫理的に優れていることで、いや、それだけで、自分自身がすでに召されて救済の状態にあることを神の前に「証す」

  →現世における「召命(ベルーフ)」という形で神の欲し給う活動を行うことが肯定される

 ―世俗内(現世)的禁欲主義は、神の命令に従って現世を倫理的に合理化しようとする

  =この意味で現世志向的…日常生活の中で宗教的に資質ある者への選びと恩恵が証明されるとした

   ※この日常生活…神への奉仕のために方法的に合理化された日常生活

           合理的な召命(=使命としての職業)の行為が救済の証明に

 

世界宗教の経済倫理 中間報告」

 「世界宗教の経済倫理 中間報告」では、現世拒否的な信仰に焦点が当てられる。現世拒否的信仰の類型として⑴神の道具として「行為する」行動的禁欲(=現世内における行動を通じて救いの確証を得ようとする)と、⑵神を所有する神秘論的救済の所有の二つを提示する。
 こうした類型の行動様式は、呪術、カリスマなどの思想を通じて、現世拒否的な傾向と同時に、現世を支配しようとする傾向を有するようになる。救いの宗教は、生活様式全体の合理的組織化を推し進めようとし、すなわち信仰者に継続的な救済を保障しようとする(そして教権者は生活規制を強化するように)。
 救済財の希求が合理的、自覚的なものへと昇華すると、諸領域との緊張関係が生ずるようになる。この緊張は、⑴経済(宗教同胞倫理-市場原理の反同胞性)、⑵政治(同胞倫理的共同体-官僚的国家、同胞倫理的国家-禁欲精神的国家)、⑶芸術(合理主義-審美的領域)⑷性愛(同胞倫理-恋愛的陶酔の主観性)、⑸思想(自然主義-倫理主義、文化的教養人-禁欲精神)、といった領域対現世拒否信仰という方向を取る。

 

<読書メモ>

・現世拒否の領域においてみられる対立

 ①行動的禁欲…神の道具として聖意に適うように「行動する」こと

  →現世の内部で堕落状態にある人間を世俗的職業労働を通じて統治する方向へ

 ②神秘論の瞑想的な救済の「所有」

  →現世における行為は全く非合理なものとして現れるのみ

・現世拒否の諸方向

 ―経済…宗教と対立。経済・貨幣は抽象的で無人間的⇔宗教的な同胞倫理

     →互いに不信の眼

     →これに対処するために達人的宗教倫理は経済的財の所有を拒否するというやり方で対応

 ※一方で禁欲が拒否する富をば禁欲自身が作り出すというパラドックスに直面

  このパラドックスを避けて通る首尾一貫したものはただ「ピューリタニズムの召命(職業)倫理」のパラドックスのみ=経済的秩序界の事象化をも、神の聖意に適うもの、義務達成のための素材として承認(=もはや反同胞倫理的)

 ―政治…ここでも救いの宗教における首尾一貫した同胞倫理と政治的秩序は緊張関係に=官僚制的国家機関の無人間化、国家の暴力的性格

     →互いに競争関係に

     →この競争の首尾一貫した解決は、「ピューリタニズムの召命的禁欲における特殊恩恵説」のみ=政治による暴力は、堕落した現世の矯正のために用いられるべきだとする

 ※教会(カトリック)は信仰を誤った方向へと導くような危険には暴力で対抗し、救いをもたらす恩恵の手段を普及させる―信仰のための戦いを正当化

  ⇔ルター派教会の場合…現世的な権力秩序の倫理的自立性を認める

 ※有機体説=差別的な合理的同胞倫理の要求、目的合理的行為に反発し、反合理的、反世俗政権的

 ―審美…伝統的に芸術と呪術的宗教は密接な関係にあるが、宗教的同胞倫理の立場からすると疑わしい存在に

 ―性愛…性愛とも宗教的同胞倫理は緊張関係にある

    →こうした芸術・恋愛への反対=合理化を可能に

 ―知的…宗教意識と思考による認識の領域との緊張