【読書メモ】イブン・タイミーヤ『イブン・タイミーヤ政治論集』
イブン・タイミーヤ『イブン・タイミーヤ政治論集』(訳)中田考(2017、作品社)
□序
・本書は三篇(シャリーアに基づく政治・イスラームにおける行政監督・タタール軍との戦いは義務か?)から成る
・「シャリーアに基づく政治」は、政治の要諦を、①「信託物をふさわしい者に還すこと」、②「人々の間を公平に裁くこと」の二つにまとめる。
①為政者の信託物=カリフ配下の公職と国庫にある財産
→つまり、「シャリーアに基づく政治」とは、公職にふさわしい人間を配置し、国庫の富をイスラーム法の定める用途に従いふさわしい人々に配分すること
②人々の間を公正に裁く=権利関係をただすこと
→つまり、「シャリーアに基づく政治」とは、刑事においても(神の権利)、民事においても(人間の権利)、私情や賄賂により裁きを歪めることなくイスラーム法に基づいた公正な裁きを下すこと
=マーワルディーがカリフを主題とする一方で、タイミーヤはカリフについて一切論じず*1、政治をシャリーアの施行の問題に還元
・「イスラームにおける行政監督」における「行政監督(ヒスバ)」=通常「市場監督」と訳される語だが、元々はクルアーンとハディースの「善の命令と悪の禁止*2」の教えがイスラーム法学の中で定式化されたものであり、市場監督に限定されたものではない
→イスラームにおける「ウィラーヤ(権威・公職)」の目的を「善の命令と悪の禁止」にまとめ、「ウィラーヤの一般性、特殊性、そして特定の職を引き受けた者が行うべきことは、言葉と状況と慣習によって決まるのであり、それについてはシャリーアに定めはない」
□シャリーアに基づく政治
序 慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名によりて
・アッラーは「一神教」「ウンマの非分裂」「アッラーが汝らの統治を委任したものへの忠誠」を何より我々に要請している
・さらに「信託物を持ち主に還すこと」「公正に裁くこと」=統治を委任された者への啓示
・「権威を行使する者に従うこと」「もし彼らがアッラーに背いたのなら、彼らに従わないこと」=臣下の者たちへの啓示
第一部 信託物の返還
第一章 職務
・為政者は最も適任であると思われる者をその職に任じなくてはならない
・最適者がいない場合は、順当と思われる次善者を順に選ぶ
―こうして選ばれた彼がもし(彼のせいではなくて)上手くいかなかったとしてもそれは彼のせいではないので彼の名誉には問題ない
・為政者に重要なのは力と信頼性(神に対する畏怖の念)
・しかし力を誠実さ(信頼性)を兼ね備えた人間は稀
―「強くて不実」と「弱くて誠実」どっち?=「強くて不実」…強さは共同体に利、個人の弱さはその人一人が負えばよい
・最適者をいかに見つけるか…統治の目的と手段から考えればよい
第二章 財物
・財物の範疇…現物、私的債務、公的債務など
―これらはきちんと返済しなければならない
・為政者が扱う財物は三種類=戦利品・浄財・ファイ
―戦利品…「戦利品はアッラーと使徒のものである」、分配は公正に
―浄財…喜捨は貧者、困窮者へ
―ファイ…税や不動産などの還付
・しかし為政者や臣民は不正を行う
→まずはそれを返済する、支払うことが義務
・公共の財物の使途は?…ムスリム全体の共通の福利にとってより重要なものから順番に配分しなければならない
第二部 掟と権利
第一章 アッラーの掟と権利
・「人々の間を裁くときには公正に裁くことを命じ給う」
=それゆえ指導者が必要
・ハッド刑…追剥ぎ、姦通、窃盗者に対する刑罰、統治に関する諸規則など
=その益がムスリム全般に及ぶもので特定の個人を対象としないもの
→訴訟なくとも為政者は調査し執行しなければならない
・犯罪者が出頭命令に従わない場合…全員を捕らえるまで戦うのがムスリムの義務
・窃盗罪のハッド刑…右手の切断
・姦通罪のハッド刑…死ぬまで投石される(既婚者)、百回の鞭打ちの後一年の追放(未婚者)
・飲酒のハッド刑…鞭打ち。また飲んだら鞭打ち。…四度目で死刑
・ジハード…戦争によってしか制圧できないような武装反乱集団に対する罪への、不信仰者への戦い
第二章 人間に固有の掟と権利
・殺人、傷害、名誉棄損…キヤースの適用
□タタール軍との戦いは義務か?
<質問>
・タタールはムスリムを略奪、攻撃、支配したが、その後彼らは信仰告白を固守していると主張し、彼らはイスラームの教えを守っていると主張する
・タタールと戦うのは合法か、むしろ義務か?
<回答>
・たとえ彼らが信仰告白を行いそのシャリーアの一部を実践していようとも、彼らがそのシャリーアの総体を遵守するようになるまで戦わねばならない
□イスラームにおける行政監督
・行政監督の原則…勧善懲悪の権限
―礼拝の義務を遂行させる
―嘘やごまかしを禁じる
―価格操作、買い占めの禁止
―人々の福利がそれなしでは成り立たないような製造業は連帯義務*3
→為政者は人々にこうした農業や建築といった生業を強制することができる
―この際、彼らの賃金は適正でなければならない=価格統制
・権力による懲罰の実施…基本的にはシャリーアに則って勧善懲悪・懲罰は行われなければならないが、クルアーンに規定がないものはスルタンが懲罰する
―行政裁量刑…罪の大小や罪人の状況によって刑がかわる
―物的行政裁量刑…財物刑による行政裁量刑
□解説 何故、今、イブン・タイミーヤなのか?
1.序
・現代の動向とタイミーヤ時代の動向の類似性
=モンゴルによってアッバース朝が崩壊し、さらにシーア派に改宗したイルハン国にイスラーム世界・スンニ派の中心であったバグダードが奪われる=タイミーヤ時代
⇔アメリカ率いる有志連合軍によってイラクが侵攻され、さらにその後シーア派のマーリキー派政権が誕生しスンニ派のイラクがシーア派の手に落ちる
→まさに重なり合っている
・サラフィー主義の理論的基礎としてのタイミーヤ
=彼は思想的にアフル・ハディース(ハディース重視学派)の巨匠
―ハディース重視のため、「新しく想像された思想」という考えを許さない
=思想はすべてクルアーンとスンナに忠実であるべきで、新しい想像はビドアである
→そのため、注意すべきは、西洋的枠組みから彼の「思想」なるものを抽出しようとする試みは誤っている、彼はただクルアーンとスンナ、正しいイスラームを描いただけ
・「ハディース」=預言者ムハンマドの言行録⇔シーア派の場合は預言者ムハンマドの後継のイマームらの言行録
・というのもシーア派においては後継イマームらも預言者ムハンマド同様無謬
・すなわち、シーア派とスンニ派でハディースの内容は全く異なる
・アフル・ハディースはハディースの遵奉をアイデンティティとするため、伝承者のスンニ派的正当性に徹底的にこだわる党派
・さらにスンナ派内部でもクルアーンとㇵディースから逸脱する者には反対
=アフル・カラーム(思弁神学派)やアフル・ラアイ(自由推論学派)、スーフィズム
・しかし当時においてアフル・ハディースは一枚岩ではなく、少数派であった
・主流となるのはワッハーブ運動以降→「サラフィー主義」=「ワッハーブ派」に
5.タイミーヤの思想構造
・アフル・ハディースは、クルアーンとハディースの十全性を信じ切る
→とすると、アフル・ハディースは必要ない
・「造物主性におけるタウヒード」のみならず「立法性におけるタウヒード」を主張
=立法者としてのアッラーを強調
・存在と規範の主意主義的二元論
―アッラーの意志は「創造的意志」と「規範的意志」がある
=「創造」と「命令」の別
・善悪を事実(自然主義)ではなく誰かの意志に帰する=主意主義
=そしてその誰かは神で、善悪は神の命令と禁止にある=神的主意主義
・人間とは、「法的能力」と「意志」
―法的能力は、意志の支配下にあり、行為を可能にする一切のものが含まれる
→アッラーの「創造的意志」により世界が生み出され、「規範的意志」は法として現象する
→人間とは、法的能力を携えた意志として、アッラーの創造的意志と規範的意志に対峙する法・倫理的存在に他ならない
6.タイミーヤの政治思想の内在構造
・「スィヤーサ」≠政治
・マーワルディーがカリフに関する事柄が書いている一方で、タイミーヤはそもそもカリフ論を論じていない
→一人一人が神からの預かり物を持っていて、それぞれが神に還すべき固有のウィラーヤを持っている
⇔マーワルディー「カリフは預言者ムハンマドが有したウィラーヤ(後見)を彼の後継者としてすべて受け継ぎ、その一部を臣下たちに委任する」
・しかし指導者の必要性ははっきりと認めており、義務だとしている
⇒社会の底辺から構築される「下からの政治論」