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本の要約、メモ、書評など。

【読書メモ】中村廣治郎『イスラム——思想と歴史』

中村廣治郎『イスラム——思想と歴史』(2012、東京大学出版会

 

第一章 コーラン

・直接一人称で語りかけた言葉そのもの⇔聖書

・「読誦されるもの」の意

・114の章、各章の冒頭がそのまま章のタイトルに、一貫したストーリーはない

コーランそのものも時代的、環境的制約を負っている―書物としてのコーラン

 ⇔神の言葉としては超歴史的性格を有する

  ―コーランは神の自己啓示であり、神はそのものの中に自己を顕した

 →ムスリムコーランの中の特殊をいかに普遍化し、それを各時代の特殊状況に応じて適用

・神と被造物の隔絶性、一方で人格神、義の神

・天使(ガブリエル、ミカエル)⇔ジン(⇔サタン)

・現世(世界)—神による創造⇔このことを自覚せず、ありがたがらない人間達

・来世―天国と地獄

・人間は各々の信仰と行為に応じて報いを受ける―因果応報の論理

 ⇔一方で人間は愚かで無知であり、時には罪を犯してしまう

  →この罪を悔い改めれば、神は寛大に許しを与える

・イバーダート(対神)とムアーマラート(人間間)

 ―イバーダート…礼拝・喜捨・断食・巡礼・信仰告白

 ―ムアーマラート…「信仰し、正しい行いをする」—様々な倫理規定

 

第二章 預言者——ムハンマド
 
第三章 共同体——ウンマ

・「人類はかつて一つのウンマであった」→争いと分裂→これに対して神の使徒が遣わされる

ウンマ=血縁的結合体、「ムハンマドウンマ

・「ムハンマドウンマ」こそ、神の下した経典・真理を正しく地上に具現するもの

 ―しかし一方でその成員は正義の共同体を負っているという責務がある

ムスリムには教会はない?

—教会という語を「聖なる共同体」に置き換えて考えると…「聖なる共同体」=宗教の聖なる理想を具体的に体現する地上的存在

 →あるべき理想と現実の姿の別の緊張

 →聖なる共同体はあるべき姿へ向かって努力

→聖なる共同体=キリストなら教会、イスラムならウンマといえる

・「生活共同体としての」ウンマ

 ―ウンマは一般社会から区別され離れて存在するのではなく、むしろ生活に積極的に関わり正しいあり方に変えようとする

ウンマは「聖なる共同体」かつ「生活共同体」=聖俗の区別なし?

⇔神にとってプラスのものを「聖」、マイナスのものを「俗」という区別はある(信義論の問題)

・在家の宗教—ウラマーもカリフもあくまでも機能上の分類であって、階層的違いはない

 ―イジュマー(合意)の存在

・現実のウンマの問題

 ―理想のカリフと乖離した現実のカリフ=完全に理想が実現されないのは必然

  →超越的真理は現世においては不完全にしか顕現しない(例えば、理想がアラブ部族社会で現実化するとする、とすると、これは絶対化=ドグマ化の危険がある)

・現実のウンマの不正や欠陥に対する抵抗

 e.g. マワーリー問題に対するシーア派、過激主義のハーリジー

ウンマの構造的変容

 ―聖なる共同体としてのウンマ=非ムスリムの排除

 →ムハンマド期は「コミュニティ・教団」

 →アッバース朝期は「他民族的普遍国家・帝国」

 →アッバース後期は「ウンマの分裂」=ウンマ—現実の地域共同体の寄せ集めに

 

第四章 「異端」[1]——ハーリジー派とシーア派

<ハーリジー派>

・アリーの調停受諾に反対―「ハワーリジュ」出ていく人々

 →「話し合い」による妥協に反発、「神の裁決」のみが決定する

・アリーを見捨てたハーリジー

 ―ムアーウィアは、殺されたウスマーンの復讐行為に出たが、ウスマーンは殺されるべくして殺されたのであって、復讐行為は悪となる

 ―そしてこの悪のムアーウィアと取引をしたアリーも悪である

ウマイヤ朝に対して幾度も反乱を起こす―特にゲリラ戦やテロを駆使

・思想…アズラキー派=宗教的信念をそのまま直ちに実行しようとする。そして不正をしたものはもちろん、不正を直そうとしない者も悪

    ナジュディー派=不正を直そうとしない者は「偽善者」であっても悪(不信仰者)ではない

・思想2…終末意識と現世否定、行為の重視から来る倫理的リゴリズム、平等主義

 →あまりにも直截であり理想主義的

 

シーア派

・「シーア」…派、党。もともとは「シーア・アリー」

・カルバラー事件

・ムフタールの反乱→運動の中心がムハンマド・イブン・ハナフィーヤに

 マワーリーが参加

・メシア思想―ハナフィーヤの死後、それを認めない者たち

 =イマームは身を隠し(ガイバ)、やがて再臨し正義をもって地上を支配する(ラジュア)という思想が初めて表明される

・ザイドの反乱

 ザイドの主張…アリーがムハンマドの本来の後継であったのはもちろんだが、それは指名されたからではなく素質があったから

 →そのため、それ以降のカリフはその位を「簒奪」したのではなく、「劣って」いるだけ=三人のカリフはあくまでも合法的とする

・六代イマーム・ジャァファルのイスマーイール指名撤回→カーズィムへ

 →ここで分裂―イスマーイールの系統を正当とする=イスマーイール派

        カーズィムの系統を正当とする=十二イマーム派

イマーム論…イマーム預言者亡き後の後継者、預言者はその時代の中で最も優れた人物→イマームもそう

 「法源」を認めず、不可謬なイマームの決定が必要

 イマームは、預言者によって、その後は前任のイマームによって指名

シーア派思想…論理的・理想的⇔スンニ派は現実的

・理想を突きつめると、「不正によるスンニ派国家」はすべて戦い倒さねばならないが、それは困難→「マフディー」の思想の誕生=お隠れイマームの復活を待てばよい

 

第五章 聖法——シャリーア

シャリーア…個々のムスリムの宗教的生活のみならず「現世的」生活をも具体的に規制

・神が人間に定めた「道」、人間はただそれに絶対的に服従するだけ

・実定法⇔シャリーア=最初に神の言葉がある

          ―正しいから神が命令するのではなく、神が命令するから正しい

シャリーアにおいては「動機」「主観的意図」が重要、形式的にはシャリーアを遵守していてもその意図が正しくなければ神から見れば無効

・5範疇―ワージブ・マンドゥーブ・ムバーフ・マクルーフ・ハラーム

 

[1] あくまでもスンニ派から見て、にすぎず、絶対的なものではない。とはいっても広くスンニ派が正統とみなされることが全くの偶然というわけではない。それには彼らが穏健で現実的であり、急激な変革を好まず、中道的で体制維持を求めたことが大いに関係する。